「ネット利用、自らも教養を」

新潟大学法学部 須川賢洋

 「水と安全はタダだと思っている」。 日本人を皮肉る言葉としてもう何年も言われ続けている言葉である。一昔前ののどかな時代と違い、悲しいかな、現在では勝手口を開けたままで外出することは愚行以外の何ものでもない。そして今、サイバー社会においてまたしても同様の問題が起きている。インターネット黎明期のようなネットワーク性善説はもはや通用しない時代となっている。使う側は、悪意ある者から自らを防御する必要があることを理解すると同時に、自分がうっかり加害者にならぬ方法をも学ぶ必要が生じてきている。
 ネットワークは単なる手段であり道具にすぎない。道具である以上、使い手の性格や心構えに大きく左右されるのである。現代人の物事の本質を見極める能力の欠如がそのままネットワークの脆弱性につながっている。特に、本来の構造や理論を学ぼうともせずに、リストラに対する恐怖心だけからパソコンの表面上の操作法だけを覚え自分がIT武装した気でいる団塊の世代の罪は重い。こと、使えないことや覚えられないことを開き直る者は重罪である。「うちのコンピュータには重要な情報が入ってないから、何かおきてもかまわない」などと考える管理職が一人でもいると、そこからセキュリティホールが生じ、被害が拡散するのである。パスワードを書き留めて目のつく場所に付箋紙等で貼り付けておく行為も同等である。ネットワークを利用する者は、各々がそれ相応の技術や法律や知識を身につける必要がある。
 政府がいくら壮大な電子政府構想を立案しようが、それに市民がそれについていけなければ意味がない。「お上」という意識が抜けきらない日本人は、今度もまた、お上が自分たちに会わせて電子政府を作ってくれると思っている。今度こそは我々が共に作り上げなければならないのである。そのためには行政のあり方を正すだけでなく、自らもまた21世紀市民にふさわしいリテラシー(教養)を身につけることが必要である。米国の一部の州では既にスパムメール(電子メールにて無秩序に商用ダイレクトメールを流す行為)を法によって規制している。「電子メールを使えば低コストで宣伝できるからどんどんやりましょう」などと言う経営者やコンサルタントがまかり通っている我が国民の意識はお寒い限りとしか言いようがない。
 このようなことを皆で真剣に議論するために「ネットワーク・セキュリティワークショップ」が11月15日から3日間、越後湯沢で開催される。申込はhttp://www.yuzawaonsen.gr.jp/conf/または0257(85)5353まで。