ほんのこべや(2005年春)

 一般書、レイモンド・スマリヤン『天才スマリヤンのパラドックス人生』高橋昌一郎訳(講談社、1800円)

 本書はある天才の自叙伝である。天才の分類学は知らないが、一芸天才と多芸天才というのはありそうだ。尤も著者のような長寿の多才は秀才に見えるきらいがある。20世紀以降、「学問=科学」が一層要求され(scienceという言葉遣いの変化がある)、到底科学と呼べない学問も科学を名乗っている。そんな世知辛い時代だから、純粋に知ることを楽しむ人の本は読んでしまう。著者の才は、音楽、数学、哲学・論理学、チェス、マジック…に及び、本書も自叙伝ながら内容は盛りだくさんである。一筋を否定している観があり、(一部は英語と日本語の違いのせいで)分からない部分は平気で読み飛ばせる。素人がちょっと頑張れば分かった気になれる本で、不思議なほど行間にも嫌みがない。35歳にして見いだされた神童のせいかもしれない。「『神は死んだ』は間違いである。神は生物ではないからである。従って、神は死んではいない」。例えば、こんな風な論理遊びの本である。また、161頁のような実践に役立つに違いない「知恵」もある。ルイス・キャロルのファンを満足させるに違いないパズルもいくつか載っている。書店で見かけたら、9・13・19・21・34・68・88・91・115・129頁だけは読んでほしい。

一般書、佐々木健一『タイトルの魔力』(中公新書、820円)

 物には名前がある。あるいは、名前があるから物があることになる。名付けると存在する気がしてくる。そして、一旦名付けられると命名は一人歩きすることがある。例えば、美術館に絵を観に行く。大抵絵ごとにタイトルが付けられている。皆さんは絵を鑑賞する際に、先にタイトル(や説明)をつい見てしまいますか、それとも絵の鑑賞に専念しますか。そもそも何故絵にタイトルが付けられているのだろうか。画家に自信があれば、タイトルは不要ではないのかと皮肉を言っていいのだろうか。タイトルも所詮は商品化の便宜と割り切れるだろうか。また、タイトルは絵の「理解」を豊かにしているのだろうか。無題は無題なのだろうか、それとも無題というメッセージなのだろうか。本書は、「名付ける」行為を考察する。副題にあるように、「作品・人名・商品のなまえ学」であり、香水や小説、絵画や音楽など具体的な作品をふんだんに挙げて説明する。読み終えるまで時間がかかりそうだが、読み応えがあるからだし、文献案内が役立つ。皆さんが将来どんな職業に就いても、名付けるという行為が成敗を決めるのだろうから、類書が少ないこともあり、手元に置かれて時に数頁ずつ読んでみるのもいいかと思う。

 一般書、山内昌之『嫉妬の世界史』(新潮新書、680円)

 政治現象と上手くつきあい続けるには、強靱な精神が必要となる。何しろ、人間の嫌な、嫌らしい部分がそのまま出てくる。だから、最初にご紹介したような本に惹かれる。その嫌な部分の1つが嫉妬であり、確かに個人の活力や組織の活性に役立つことはある。しかし、権力(者)と正義との結婚ほど被害をもたらさないにしても、嫉妬が権力者に巣くうと何かと厄介だし、避けられるように制度化を図りたいが、どうしようもない。本書には、古今東西の嫉妬(嫉憤・嫉怒…)事例が引かれている(事例は帯に記されている)。嫉妬の弊害は世間にも溢れ、会社・役所に留まらず、学者世界にもある。本書でも、植物学者牧野富太郎の例が紹介されているが、著者が関わる業界の事例はない。嫉妬は何しろ純度の低い話ではあるが、賄賂と同様、その指摘がないから存在しないのではなく、むしろ指摘があればそれだけ業界の通気性が高まるという効果も期待できるし、その指摘にはイギリス人歴史家のようなユーモアを持つ成熟を必要とするので、その精神資格がある著者に続編を期待したくなる。なお、本書の帯にある「男の嫉妬は国をも滅ぼす」は、44頁以下を指摘しなくとも、いろんな意味で修正した方がいいように思えた。


ほんのこべや(2004年秋)


 一般書、竹内薫『世界が変わる現代物理学』(ちくま新書、720円)

 意外かも知れないが、物理学が政治学に及ぼしてきた影響は小さくない。例えば、現代政治分析に不可欠の「権力(power)」という概念は文字通り力学からの借用である。本書は現代物理学の本で、門外漢向けとはいえ、読後の消化不良は甚だしい。それでも何とか一読できたのは、「モノからコトへ」が主旋律だからで、これは政治学の講義で説明する話だから馴染んでいる。「物理学から<物>という概念が次々に消えてゆく」そうだが、「コト」の扱いには手慣れたはずの政治学業界でも近代主義の影響でモノに拘ってきた歴史がある。モノというよりは概念の実体化で、例えば、民意や人権はモノのように捉えられてきた。「民意や人権はコト」と捉えないと見えない世界がある。言葉の実体化に無頓着な傾向のある学生は、是非読まれたし。そういえば、もう一つ、事理という言葉遣いに著者が拘っている箇所に仲間を見いだした気がした。こちらはちょっとした言葉遣いの問題であり、言葉遊びでもあるが、「事・真」「実・理」の組み合わせで作られる熟語の中で、事実、真実、真理とは異なり、事理がめっきり用いられなくなった理由を考えたりしていて、こちらは学者を志す人向けの話題である。

  一般書、山本貴光・吉川浩満『心脳問題』(朝日出版社、2100円)

 「わたしがわかる本」が増えている。大庭健『私はどうして私なのか』、勢古浩爾『わたしを認めよ!』、山内志朗(本学人文学部教授)『ライプニッツ』(「あとがき」は泣かせる)などは薦められる。一方でたいていの人は「哲学する」のは面倒だから、各種の魔術や占いにしがみつく。そういえば、鈴木淳史『占いの力』のオビには、「『占い』は『私』をめぐる物語を作り出す装置である!」とある。装置でもあるが、何より商売だろう。今や「私」は優良な商品であり、健康ブームも一面では自閉精神の顕れかも知れない。本書は、巷間溢れる安直な「わたしがわかる本」の種明しから始める。「だから」と「実は」がトリックを見破る鍵であり、「心脳問題は解決されず、解消するだけ」で、そんな簡単に「わたし」はわからないですよという結論に至って健全である。どう考えても、「私」は分かり切らないから面白いんだろう。この多少なりとも実存の危機ゆえの問いかけを抱えて、カリスマ指導者の下閉鎖空間で修行に励んで開眼して喜ぶのは、旅行先での出会いに感動するのとたいした違いはない。心脳問題は、心身問題、身脳問題とも関わっていて、三者間の関係を究明する営為こそ、生の証ではある。

 一般書、小松美彦『自己決定権は幻想である』(洋泉社、740円

 中学生の頃、ある先生の持論に反対したが、その理由を問われて巧く説明できないことがあった。今思えば、‘Simply to oppose’といえば良かった。最近自己決定という考え方が流行っている。地方分権の時代、自治体は財政力を強化して自律した公共経営を目指すべきだとか、応用範囲は広い。本書の帯には、「臓器移植のドナーカード[中略]は自己責任で…、誰にも迷惑をかけないなら、『自分の勝手でしょう』と考えていて、本当に大丈夫なのか?」とある。著者が注意を促すのは、自己決定と自己決定権との違いであり、両者を分けることで問題の所在が見えやすくなっている。自己決定権に逆手をとられる「パーソン論」の紹介などもある。著者の考え方への賛否はともかく、議論を知っておくことは必要だろう。自己決定は、毎日誰でも行っていることだが、あくまでも他人との関係の中で行っている。ところが、自己決定「権」となると、急に他人が視野から消え、「私の勝手」に立派な根拠がある気がしてくるから、言葉というは面白いし、怖い。著者は最後に「ノンといい続けることの重要さについて」と叫ぶ。自己決定権の怪しさを教えてもらったから、’simply to oppose’「とりあえず反対しとくわ」である。

ほんのこべや(2004年春)

 一般書、大庭健・鷲田清一『所有のエチカ』(ナカニシヤ出版、2200円)

 言葉遊びに思えるかも知れないが、演習の授業で出した問題の例を1つ。「この鉛筆は私の物だ。だから売っても構わない」。これは当たり前だとされる。では、「この身体は私の物だ。だから売っても構わない」か? 普通は否だ。鉛筆はいいが、身体は駄目だと。しかし、何故?と訊かれると学生は困ったりする。同じ「私の物」なのに…、どこが違うのかと、わからなくなる。私の身体は実は私の物ではなかったのか?(実はそういう面がある)、では誰の物?となると、一層混迷が深まる。答えは何通りか考えられるが、それはさておき。所有は取り憑かれること(水谷三公『江戸は夢か』)でもあって、そのせいか、私たちには自分の身体や他人の存在を自己の所有物のように表現する癖がある。「俺の女に手を出すな」「私の子供に関わらないで」は巷間よくあるセリフだが、これを愛情表現とみなすかどうかは別として、女や子供は所有物のように扱われる。人間関係や社会問題を考察する際に、この所有癖の処理如何で色んなことが見えてくる。この本では8人が所有にまつわる問題を色々書いていて、読む順番も特になさそうだから、興味が湧くものから一読されてはいかがかと思う。

 
一般書、内田樹『こどもは判ってくれない』(洋泉社、1500円)

 内田さんの書かれるものは楽しい。本書のあとがきに、「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」し、「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍よりも有害である(ことが多い)」ことを伝えたいとある。さて、これまでは「大人は判ってくれない」とこどもが文句をいうのが常道だった。大人が小供を、親が子供を教育するのは当然で、だからこそ「理由なき反抗」は若者の権利だった。時代はかわり、「こどもは判ってくれない」である(二重の仕掛けになっているレトリックだが)。商品の売れ行きは女子高校生の意向に左右される時代という。大人のマネをしたくとも、反発したくとも、それに値する大人がいない…。こどもも厄介な時代に育っているものと同情する。(「大人」になりきれない)著者は大人って何だろうと問いかける。大人のマネをすれば大丈夫という従来の教育論ではなく、大人の考え方、行動の仕方、その不思議さ、主観的であってもその合理的な理由について、人類学の報告書風に説明し、大人の真贋を見極める手だてを若者に伝えようとしている。

 
斎藤美奈子『紅一点論』(ちくま文庫、780円)

 「紅一点」。正確には「萬緑叢中紅一点」(王安石)で、「凡夫の中に俊才ひとり」の意だったが、いまでは「男の子の中に女がひとり」の意で用いられ、テレビ番組や映画で見慣れた光景となっていて、『秘密戦隊ゴレンジャー』には紅一点のモモレンジャーが、『ウルトラマン』の科学捜査隊にはフジアキコ隊員がいるでしょと著者は指摘する。アニメの国のヒロインは、「魔法少女」「紅の戦士」「悪の女王」に分類できるそうだ(62頁)。『ルパン三世』『リボンの騎士』『セーラームーン』『ヤマト』『ガンダム』『エヴァンゲリオン』『ナウシカ』『もののけ姫』はどうだろうか。偉人の世界では、ナイチンゲール、キュリー、ヘレン・ケラーが例に挙げて説明し、実社会の「名門大学と女子大学」「医者と看護婦」「総合職と一般職」といった対があるのは何故でしょうねと問う。こう書くと、生真面目な性差糾弾の書に思えるが、悲壮感を売りにせず、アニメの懐かしさもあり、読んでいて笑えるからお薦めできる。なお、こういうステレオタイプはジェンダーに限らない。人種、民族、階級、職業、出身地(都鄙)などもそれぞれのヴァージョンがあり、知らず知らずのうちに私たちの見方を決めてしまっている。




ほんのこべや(2003年秋)

一般書、森達也『放送禁止歌』(知恵の森文庫、648円)

 「放送禁止歌」というのをご存じだろうか。「只今不適切な発言がありました…」という放送禁止用語ではない。歌である。実際テレビ等からどんどん歌が消えていった。ところが、その法的根拠がわからないと、著者は調べ始める。そこで明らかになるのは、お決まりのマスメディアの自主規制。もちろん、何でも放送していいわけはない。第4の権力だから自律たる自主規制も必要である。それでも、関係筋から文句を言われるぐらいなら、議論をしない、闘わない、ひたすら謝るのを世知とする体質が見えてくる。表現の自由を求めているようで、実は「規制を求めている」と揶揄されるのも仕方ない。規制された方が「私たちは悪くない」と責任逃れの申し開きができる。だから、自主規制の癖がつくと止まらない。「禁止されない限りやる」と、「許可されるまでやらない」とでは、自由に対する態度が違うはずである。そして、こういうメディアが日本の世論を「代表」している。本書はメディア論としてお薦めできるし、部落差別などを知らない方にも読んで欲しい。「ヤラセ番組、ウソ報道」を扱った新藤健一『崩壊する映像神話』(ちくま文庫)等もあわせてどうぞ。

一般書、植島啓司『「頭がよい」って何だろう』(集英社新書、660円)

 将棋のたとえで恐縮だが、せめてあと「香一本」頭が良くなりたい。そんなことを思っていると、こういう題名の本に眼が止まるが、通常は警戒注意。しかし、副題に「名作パズル、ひらめきクイズで探る」とあったので、睡眠薬代わりにと買ってみた。実はパズルが全然解けていないので読み終えていないが、パズルだけでも十分楽しめるし、何しろすぐに寝られる(前後して読んだ内井惣七『パズルとパラドックス』講談社現代新書も面白かった)。パズル等見たくもない人も、柔軟な発想を得るヒントが散りばめられているので、一読されてはと思う。この本はいわば「頭の良さ」追求の直球だが、対照的に変化球を投げるのが安達元一『視聴率200%男』(光文社新書)。著者は、『ダウンタウンのガキのつかいやあらへんで』『伊東家の食卓』等数々の高視聴率番組の放送作家である。こちらも頭の柔軟剤としていいし、何しろテレビ業界の話があって読みやすい。プレゼンテーションの秘訣も書いてある。植島著が天才たちを素材に論じているのに対し、安達著は一般人にも手の届く「地頭の良さ」を強調している。就職活動が気になり始めた学生には、こちらのこの部分が役立つかも知れない。

一般書、野地秩嘉『サービスの達人たち』(新潮OH!文庫、486円)

 出口の見えない不況が続くせいか、NHKの「プロジェクトX」が高視聴率だそうだ。成功例の苦労談だから、視聴者も安心できるんだろう。それと、「日本(人)って(実は)偉いんだぞ」と教えてくれるからだと思う。人気グループのSMAPも何かの番組で似たような企画(MIJ?)を扱っていると聞いた。香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ)に書かれているように、あっけらかんとした「若者たちのニッポン主義」には戸惑うし、「いつか来た道」はいらない。失われた10年に失われたのは数百兆円の国富だけでなく、自信と希望と目標で、確かに3,40年前の高度経済成長期、日本は貧しくとも生き生きとしており、昭和30年代がブームになる世相もわかるが、もとより「記憶は嘘をつく」ものでもある。とはいえ、庶民の生活を支える国づくりの基本は、良質の財とサービスの提供を生む匠にあるから、本書を読むと嬉しくもなる。何かの映画だったかのセリフ、「逆境こそ、我が友(Adversity is my Ally)」と言い張るには、「すごい人もいるんだなぁ」という感動も必要だろう。感動が育む共感や連帯が集団自閉に化けないことに注意しなければならないとしても。


ほんのこべや(2003年春)

一般書、金谷武洋『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ、1500円)

  書名が「日本語に主語はない」なら、当たり前だから、買わなかったかも知れない。「日本語に主語はいらないー百年の誤謬を正す」と訴えているので、読んでみた。どうもいまだに関係学界や業界では、「日本語にも、英仏語と同じように主語がある。すべての文は主語と述語に分解することができる。そもそも、主語は人類のすべての言語に共通する普遍文法の一要素である」という風に教えている人が多いようだ。著者はカナダのケベック州で日本語を教えていらっしゃって、現場発の嘆きである。日本語の主語をめぐる論争では三上章さんの構文論が紹介されていて懐かしい。結局は主語論争も、明治時代以降の近代化の過程で様々な学問分野に共通して発生した病理現象の1つで、欧米諸国に「真っ当な国」として認知されるために、日本語にも英語等と同様の文法構造があると主張することに人生を捧げようとする学者達の悲劇だった。悲劇も続けば喜劇になってしまう。エスペラントにさえも濃厚に見られる欧米の行き過ぎた普遍主義を洗練する時代が来ているのだろう。それは、日本(人)の役目でもある。

一般書、西部邁『保守思想のための39章』(ちくま新書、720円)

  著者はテレビなどでも活躍されているからご存じの方が多いと思う。「新しい歴史教科書」云々と関わっていらっしゃるから、毀誉褒貶も多いだろうと推察する。著者の本を読むのは初めてで、この本は、書名と中味が少々ずれているというのが読後の感想である。「保守」が二通りの意味で用いられていて、両者を綺麗に分けることは難しく、逐一指摘することもできないが、大雑把に言えば、「社会現象の見方を説明している部分」と、「いわゆる保守思想を述べている部分」とがある。もちろん、著者にとって両者は不可分だろうが、議論を呼ぶ箇所も少なくない。ただ、社会現象を真摯に考察しようと思っている学生は、読まれてはいかがかと思う。前者の部分は重要だし、後者について不満や反発を感じる場合も、大切なのはきちんとした言葉で反論できることだから、その意味で自分の「敵」の論理を学んで、自分が何を是とし、非とするのかを確認する準備作業に向いている。自分と同じような意見の人の本しか読めないのは自家中毒だというのも、この本が訴えたいことの一つだろうと思う。

一般書、森博嗣『議論の余地しかない』(PHP研究所、1100円)

  時折学生の「思考硬直」に呆れることがある。柔軟という若さの特権を放棄したら、何が残るのと言ってしまいそうになる。そこで、考えるヒントになるような本を紹介しようと渉猟していたら、この題名が飛び込んできた。そう、「議論の余地しかない」のである。一度ペラペラめくってみて下さい。心に引っかかり、しばらくは対決するセリフが見つかると思う。本文中の英語タイトルと一部の写真は余計だが、森さんの本はやはり読ませる。いや、めくってみたが、気に入らなかったということなら、『臨機応変・変問自在』(集英社新書、720円)もある。こちらは笑って読める。新潟大学でもこんな授業をやってみたくなる。考えるヒントといえば、丸谷才一『思考のレッスン』が文庫になったようだ(文春文庫、448円)。こちらはかなりの予備知識が必要だから、わからない処は読み飛ばしていい。ただ、庄内藩鶴岡の精神風土、イギリスのアマチュアリズム、「白玉クリームあんみつ」、生のセリフ、ホームグラウンドについて書かれてある箇所は、著者に従い、「バラバラに破って」保存しておいていい。



ほんのこべや(2002年秋)

一般書、勢古浩爾『まれに見るバカ』(洋泉社、720円)

 
テレビ番組から生まれた秀作・松本修『全国アホ・バカ分布考』(新潮社、781円)が調べてくれたように、バカにも色んな表現があるが、実はバカにも色々あって、使い方が難しく、使用する際逐一その意味を説明することがある。バカの意味を乱暴に二分すれば、薬の効かないバカと愛おしまれるバカで、本書は専ら前者を扱っている。自己点検・自己評価がブームの昨今でもあるから、この本を「リトマス試験紙」だと思ってお読み下さい。何か発見があるかも知れないし、発見と内省があれば、実は当てはまらないということでもある。一方で、愛おしまれるバカの用法は関西地方に頻繁で、どうしようもないアホにはもったいなくてアホとは呼ばない。アホはしばしば好評の証や愛情表現であって、「私はアホ」と言い切る文化は、humourを育む文化と似て、他地域の出身者にはわかりづらいかも知れない。これについては、著作の趣旨に反しているかも知れないが、竹本浩三『オモロイやつら』(文春新書、680円)、西江雅之『わたしは猫になりたかった』(新潮OH!文庫、562円)などをお読み下さればと思う。


一般書、高橋秀実『からくり民主主義』(草思社、1800円)


 
素朴な疑問を持ち続けられるかどうか、学者にとってはかえって難しい。学界の常識が思考の幅を狭める。特に、多くの人の生き様に関わる問題について「何故人間を差別してはいけないの?」といった疑問を発すれば、厄介な事態が生じる。民主主義もこうした取扱に注意を要する言葉の一つで、民主的か否かだけで善悪を分ける国や時代もあったが、不思議なことに、個々の問題で何が民主的かを検討する人たちは少なかった。本書の解説(村上春樹さん)によると、著者はいつも困った、困ったと嘆いているそうで、この本はまさにその「困った話」が集めてある。帯に「『国民の声』ってのは、いったい誰の声だ?、本当のところを確かめに行った」とあって、諫早湾干拓問題、沖縄米軍基地問題などが取り上げられている。政治学基礎演習の教科書になる本である。なお、特に法学部の学生は、竹内靖雄『法と正義の経済学』(新潮選書、1200円)もお読み下さい。法にせよ、正義にせよ、法曹関係者の専売特許ではないのだから、別の分野の優れた専門家が説く視点は柔軟な頭を維持するのに役立つと思う。


一般書、山岡洋一『英単語のあぶない常識』(ちくま新書、700円)

 
斎藤孝さんの『声に出して読みたい日本語』がきっかけか、出版界では日本語ブームだそうだ。外国語によるコミュニケーションも結局は母(国)語での発話能力次第だから、この日本語を見つめ直すブームが少々形を変えてもいいから定着することを願っている。そうすれば、論理の性質が異なるだけなのに、永らく巷間に流布していた「日本語は論理的な言葉ではない」といったような戯言も早晩消え去る。それでも、日本語ができると外国語ができるかというとそうではない。当然の事ながら、外国語の習得には特有の語法が立ちふさがり、日本語で対応するはずの言葉の用法との微妙な意味の違いを知っておく必要がある。昨年来、日本の政治を英語で講義することになってから、英語の語法に関する本に自然と眼が止まるようになった。英語学習の分野では安西徹雄さんなどの名著が揃っているが、この本も、なるほどねと思わせる箇所がたくさんあって役立っている。例えば、experience, oftenを何も考えずに「経験」「しばしば」と訳す癖のある人はお読み下さい。そうだったのかとうなずく回数は予想よりも多いと思う



ほんのこべや(2002年春)


一般書、21世紀研究会編『常識の世界地図』(文春新書、780円)

 「外国語を知らない奴には母国語はわからない」をもじれば、「外国の文化を知らない奴には日本の文化もわからない」となる。その点で、この本は自分の常識の非常識を知る機会を与えてくれる。雑本は玉石混淆だが、この種の雑学は「国際化(嫌な言葉だけれど)」の時代には必需品で、国際理解とは、まずはお互いに理解しづらい作法があることを理解すること(agree to disagree)である。サッカーのワールドカップがらみで、犬を食べる韓国の習慣が欧米諸国から批判されているが、「犬を食べるなんて…」と思うのは、特定の価値観にどっぷり浸かっている証拠で、「何故こんな美味しい物を食べないの?」との反論を封印する権利はない。一般化すれば、Aの常識はBの非常識で、神々が争うこうした場面こそ、度量が試されるが、どのように双方の常識に折り合いをつけるのか、腕の、つまり知性の見せ所ではある。相手の所作振舞が生理的に受け付けないものであっても、相手もそう思っているのだから、この地球には妙な連中が住んでいるものですね、世界が拡がりましたと一呼吸置く余裕を持つ訓練は欠かせない。ともあれ、異文化と関わろうとしている方々は是非お読み下さい。失敗をする前に。



一般書、萩尾望都『スター・レッド』(小学館文庫、800円)

 漫画です。萩尾望都(呼び捨てはファンの方に怒られるが、ご勘弁)を読んだことのある学生に出会わなくなった。そこで作品より著者(作家)の紹介。他の漫画家が読み継がれているところを見ると、萩尾望都が読まれていないのは、時代や世代の問題とも言い切れない気がする。読んでないの、情けないなぁと威張って見せる私も、二十代半ば、仏文学専攻の知人に「読んでないの?」と小馬鹿にされて、慌てて大量に買い込んだ。「大のおとな」が周囲の眼を気にしつつ「フラワーコミックス」を何冊も買うのは本当に勇気が要ったが、勇気を出した甲斐はあった。ついでの勢いで、竹宮恵子、大島弓子、大和和紀、山岸涼子などを読み漁った。戦後日本で、手塚治虫が一般人に最も親しまれたとすれば、萩尾望都は物を書く/描く人達に最も影響を与えたんだろうと思ったりする(森博嗣『森博嗣のミステリィ工作室』)。初めての方は、やはり『ポーの一族』『トーマの心臓』などを読まれるといい。皆さんが好きな漫画や小説の一場面がそこここに登場している。ところで『スター・レッド』のどこがいいのと訊かれても困るが、妙な懐かしさや親しみを感じていて、時々無性に読み返したくなる。


一般書、永森誠一『派閥』(ちくま新書、720円)

 いわゆる政治の本をあまり紹介してこなかったかもしれない。「何でも政治になる」からでもあり、一般書の範囲で良書が少ないからでもある。著者には、一昨年法学部の集中講義に来ていただいたから、裏表紙の写真をご覧になって、あの先生かと想い出す人もいるだろう。政治学者と呼べる数少ない学者のお一人である。この本のテーマは派閥で、土着文化からそのまま染み出てきたような現象の説明である。派閥のどこまでが日本的で、どこからあちこちの国でも見られるものなのか、いやむしろ、あちこちの国にある政党が同じ様なものだと決めつけることが錯覚だともいえる。ともあれ、「派閥抜きでは日本の政治は語れない」と云われるのだから、日本の政治に関心がある方は、同じちくま新書の水谷三公『江戸の役人事情』などとともに一読されると、言葉が、つまり物の見方が整理されると思うので「挑戦」されたし。挑戦という言葉を使うのは、この本が読み応えがあるからで、その理由は独特の文体あるいは説明の仕方にある。政治現象を言葉で直に捉えようとすると、こういうスタイルになるという好例だが、説明が繰り返されているので、頭の体操としても挑戦されてはいかがかと思う。

ほんのこべや(2001年秋)

一般書 入江敦彦『京都人だけが知っている』(洋泉社、680円)

 全国の小京都を名乗る52市町村が昭和60年に「全国京都会議」を結成したそうだ。でも、京都は好きだが、京都の人は、どうも、ね…という人は少なくない。誠にご尤もで、本書は滅多に好かれることのない京都人が書いた「京都本」である。行間からは嫌みが取り除けないが、出来がいいと思う。世上の「京風」ラーメンも実は京「風」でしかないから、京都はまず京都人に語らせた方が良い。人が町を作り、町が人を育てるという。この本を読んで微笑む余裕があるのは通だけかも知れないが、ファンにもほぼ間違いなく必読本である。京都人の「都人意識」は日本版中華思想で、この意識が都鄙や彼我の差異を作りだし、明治時代以降は「新京都」たる東京を中心とした序列関係が築き上げられた。この優劣関係でマイナスイメージを押しつけられたのが東北や裏日本で、大規模な人口移動をもたらした高度経済成長期以降同じく過疎に苦しんでいるはずの四国や九州には、暗いイメージはあまり結びつかない。だから、河西英通『東北ーつくられた異境』、古厩忠夫『裏日本』も合わせてお読み下さい。日本は一色ではないとわかります。


一般書 中島義道『哲学の教科書』(講談社学術文庫、1100円)

 哲学に教科書なんてあったんだ!?というのが、この本を買った理由で、著者もあとがきで同様のことを書いていらっしゃる。哲学の教科書として成功しているかどうかはよくはわからないが、著者は哲学者らしい哲学者だなぁと思う。文科系の分野でも、西洋の学問用語ではなく、自分の言葉で考えようとする学者が少ないので、著者のような方は目立つ。哲学とは何かといった問いはさておき、この本全体に流れている思考スタイルは馴染みやすい。物事を徹底して、しかも素直に考えることの大切さが説かれている。いい本だと思う。そういえば、講談社は岩波書店と対照される時代があった。しかし、哲学の分野では特に最近、学術文庫にしても、現代新書にしても、読ませる本が多い。この本を読んで、考える訓練ができたら、加藤尚武『現代倫理学入門』などもどうぞ。こちらには、「人を助けるために嘘をつくことは許されるか」「10人の命を救うために1人の人を殺すことは許されるか」「正直者が損をすることはどうしたら防げるか」「正義は時代によって変わるか」などが扱われている。倫理学といっても、案外身近である。


一般書 浅田秀子『敬語で解く日本の平等・不平等』(講談社現代新書、680円)

 敬語が「封建時代の遺物」だと考える人はさすがに少なくなった。少し外国語ができる人ならば、各国語にそれぞれの敬語表現があることは常識でもある。ただ、日本語には敬語が豊富にあるように思える。そして、人間は平等だと習い、実際貧富の格差では先進国の中でもまだまだ平等であるこの国では、人間関係に上下を持ち込む敬語には何となくしっくり行かないという人もいるだろう。著者は、この本で平等意識と敬語との関係を考えようとする。比較対照には、著者が実生活を過ごされた中国の比重が大きい。その意味でも、欧米一辺倒でない所が特色である。敬語を通し、日本社会の構造を浮かび上がらせる作意がどれほど成功しているかは評価が分かれようが、一読の価値はある。社会関係が言葉で成立する以上、言葉に社会が現れるからである。こういう学問分野は社会言語学だろうか。トラッドギル『社会言語学』などもあるが、これが言語人類学なら、井上京子『もし「右」や「左」がなかったら』もお読みになってはいかがかと思う。皆さんがどの分野を学ばれていても、認識を大きく左右する言葉こそが結局は学問の基礎だからである。

ほんのこべや(2001年春)

一般書、現代用語の基礎知識編『20世紀に生まれたことば』(新潮社、943円)

 それほどの大騒ぎもなく、21世紀を迎えた。勝手に時間を区切って騒いでいるだけだといえばそれまでだが、人間は象徴に生きる動物でもあるから、この種の癖を簡単には無碍にもできない。さて、「地球は青かった」「駅弁大学」「ウッドストック」「街頭テレビ」「複合汚染」「銀ブラ」「生きて虜囚の辱めを受けず」「ストリーキング」「老兵は死なず」「あっしにはかかわりのねえことでござんす」「狂乱物価」「ミッチーブーム」…、どれだけご存じだろうか。そんな言葉は聞いたことがありませんと開き直られれば、退散したくもなるが、「イッキ!イッキ!」「分衆」「プッツン」「激辛」「鉄人」「一村一品」ならどうだろうか。いずれも80年代の流行語である。本の宣伝文句で言えば、「ことばの窓からは時代が見える」という仕組みで、中味は題名通りに「新語・流行語で振り返るこの100年」、収録語数は800ぐらいだろうか。近況に疎い私には、日本新語・流行語大賞受賞記録が付いているのも助かる。まだまだ身近な20世紀を振り返る余裕があってもいいし、行く先が見えなくなると、頼れるのは、教訓にはならないにしても、歴史である。そんな時、こんな本が手元にあると便利だと思う。



一般書、ひろさちや『お葬式をどうするか』(PHP新書、660円)

 この国の人達は、宗教とのつきあいが割合上手だと思う。例えば、教会で式を挙げ、クリスマスを祝って、正月には神社に初詣、最期は寺の世話になる。ただ、キリスト教もクリスマスのような、もともと無関係な現地の習俗を上手く採り入れ、生き残りを図ってきた。インドのイスラム教は先祖の墓参りをすると聞くと、何だかホッとする。それにしても、葬祭は学生の多くの方にはまだまだ関わりの薄い話である。ましてや主宰する年齢や立場にはないだろう。予備知識としても、早すぎるか。葬祭よりはまずは冠婚です、だろう。しかし、葬儀のような儀式にこそ、その社会の背骨の部分が見えてくる。少し前までは、多くの人が地方や家庭のしきたりを守っていたから、わざわざ学習するような問題ではなかったが、今や葬祭も実践的な生涯学習になり始めた。映画にも『お葬式』があり、最近この手の新書が何冊が出ている。例えば、井上治代『墓をめぐる家族論』の本の帯には「夫と一緒の墓に入りたくない妻たち」などと、少々ドッキリする事例があって、現代日本社会の変貌ぶりがわかる。21世紀の冠婚葬祭はどうなるのか、それは日本社会がどう変わるのかを考えることでもある。



一般書、野田進、松井茂記編著『シネマで法学』(有斐閣ブックス、2800円)

映画という分野には読む価値のありそうな本が山ほどある。20世紀に引っかければ、少々生真面目だが、田中直毅・長田弘『映画で読む二十世紀』や四方田犬彦『日本映画史100年』があり、アメリカ論に引っかければ、R・スクラー『アメリカ映画の文化史』、鈴木透『現代アメリカを観る』、井上一馬『ブラック・ムービー』などがある。アメリカの法律や訴訟も、石田佳治『シネマdeロー』で勉強してみてはいかがというのが売りになる時代が来ている。ここで挙げる本は、推薦したいというよりは紹介したい物。というのも、有斐閣という法学の世界では老舗の本屋がこういう「色物」を出したところに、ある種の感慨を憶えたからである。こういう視点から映画を扱うこともできると分かっていただけるように思う。尤も、映画はまずは楽しむ物である。「シネマで法学」とは、映画ファンには邪道かもしれない。それも尤もな話か。さて、「シネマで法学」があるなら、私の方は「シネマで政治学」と言いたいところだが、現在試行錯誤の真っ最中である。興味のある方々は、法学部の紀要『法政理論』の今年度版にある『政治と映像(1)(2)(3)』をパラパラ読んでみていただければ幸いである。

 ほんのこべや(2000年秋)

一般書、S・ピンカー『言語を生みだす本能』(上)(下)(NHKブックス、1280円×2)

 中学校入学直前の春休み、英語を習い始めた。当初より数々の悲喜劇があった。その一つが「アメリカ人は英語を話しているが、頭の中は日本語が流れている」という思い込みで、英語のような単純な言葉では物事は考えられないはずだとの確信が2年程続いた。中学3年の時、附属中学の気楽さもあってか、担任教師の「酔狂」で生成文法を習った。内容はよくはわからなかったが、日本語と英語との間には結局言うに足る違いはないのだと知らされた。その後エスペラントを学んで、私たちの言語の構造がどうやら意外に単純だと示されて気味が悪くなった。それ以降、色んな言語の文法書を読むのが趣味となっている。この本の著者ピンカーは、人間の思考は母語による範疇に左右されるわけでない、英国人は英語ではなく、思考の言語で考えているという。そうかも知れないと思ったり、そうでもないと思ったり。刺激される。読み進むには言語学の言葉遣いに慣れが必要だから、一般書にしては難しいかも知れない。それでも、もうすぐ秋だし、哲学っぽい議論が苦手ではない人は、長々し夜に挑戦されてはいかがかと思う。頭のどこかに秘められている疑問の一部が「解決」するはずである。


一般書、大崎善生『聖の青春』(講談社、1700円)

 将棋に興味のない人には大した事件ではないが、村山聖という将棋指しが一昨年29歳で亡くなった。『ビッグ・コミック』あたりで伝記が連載中だからご存じの方もいるかも知れない。難病(ネフローゼ)を抱えた将棋指しが精一杯生きて死んでいった話で、お涙頂戴かと思う人もいるだろう。ところが、この将棋指しという「人種」の場合、その精一杯がだいぶんと違う。将棋指しは命を削って将棋を指す。芸術家として、後世に良い棋譜を残すため、分かる人に分かってもらうために指す。もちろん、収入や人気も勝敗次第だから余計に人間臭が濃くなる。「吹けば飛ぶような将棋の駒に、賭けた命を笑はば笑へ」である。一般人から見れば高が将棋というゲームに何故それほどの情熱を…という疑問が尽きないが、それは一般人だからである。村山は20歳の誕生日を迎えられたことを心から喜び、神戸大震災に多額の寄付をし、早く名人になって将棋を止めたいと大御所に言ってのけ、癌の再発防止治療も頭と将棋に悪影響を及ぼすならと拒否してしまう若者だった。一般人もどこかで思い描いた純世界がある。『名人に香車を引いた男』など将棋の世界には他にも名著が多いので、あわせてお薦めしたい。


一般書、C・N・パーキンソン『パーキンソンの法則』(至誠堂選書、854円)

 先日法学部の学生に訊いてみると、「パーキンソンの法則」など知らないと言う。行政学では教えることになっているはずだが…と思ったりしたが、確かに自然科学でいう法則ではない。それに山川雄巳『数理と政治』のようにこの法則を反証してみせる本も出ている。それでもこの法則は反証したくなるほど魅力的で影響力が大きく、その真偽は措いても、人間の社会が持っている「癖」を知る上では今でも上等の本に分類される。「役人の数は仕事の量とは無関係に増える」が有名だが、他にも「機関の建物はその機関が崩壊する頃に完成する」、「議題に費やされる時間は支出額に反比例する」など、妙にうなずいてしまうものがある。「カクテル・パーティの公式」も笑ってしまう。貴方が会いたいと思っている重要人物が招待されたパーティーの開始が7時なら、7時45分に到着すべし、ほぼ同じ頃にその人はやってくるから。但し招待客はホールの中央を嫌い、左方向に歩き(左巻きの法則)、その重要人物はホールの右端に来ると、他の重要人物に自分の存在を示すために10分ほど立ち止まるので注意することなどなど。こういう話を尤もらしく書くのが洒落ているが、侮れないと気づいてもう一度笑ってしまう。

 ほんのこべや(2000年春)

一般書、金子達仁『28年目のハーフタイム』(文春文庫、429円)

 サッカー好きというのがこの本を選んだ一つの理由で、他には『中田語録』『飛躍中田英寿』もいい。野球好きの方は川上貴光『”ムッシュ”になった男』が泣けるし、『菊とバット』のホワイティングなど紹介すべき書き手が何人もいる。この本を選んだもう一つの理由は少々説明を要する。「客が芸人を育てる」という。「芸人が客を育てる」とも云うか。「客」と「芸人」に違う言葉を入れてみる。「学生が教師を育てる」と「教師が学生を育てる」とでは、大学教育のイメージが大幅に変わる。スポーツ選手がジャーナリストを育てるのか、それとも逆か。この国の両者の関係は必ずしも良好ではない(野茂投手が渡米する際に浴びせられた高慢な態度は忘れないようにしたい。数ヶ月後にはヒーローにすり寄ったのだから)。要は取材側に愛情と勉強が欠落し、その上で成り立つ批判精神と無縁だからだろう。金に物をいわせて選手を集め、結果を出せないチームと監督のファンは、似非新興宗教の信者と同様お気の毒である。業界では「問題児」との評判があるらしいが、マイナス掛けるマイナスはプラスなのか、この著者は刺激的だ。上質の批評はこのタイプの大衆社会でも成り立つと教えていただいた。



一般書、石川九楊『二重言語国家・日本』(NHKブックス、970円)

 この本には色々な読み方があると思う。必ずしも用意周到に書かれたとは言い切れない社会論の部分を除けば、日本論や中国論としても、文明論としても一読の価値がある。「日本語は中国語の植民地語」というのは挑発が過ぎるが、日本語の豊さは中国語のおかげであって、いまだに漢籍の素養を背景に持つ明治時代の文章がお手本となる。世界で最も語彙が豊かだとされる英語にもギリシャ語・ラテン語の「漢字」とゲルマン諸語の「かな」があり、学術用語の多くは古典文明から輸入された。ローマに征服され損なった、つまり文明化するチャンスを逃したとされるドイツはローマ文明の受容に苦労し続ける。フランスは古典世界を継承した文明国だと自称して、言葉の発展を止めてしまっているようだ。朝鮮半島のように自国の文字に拘りすぎると文化の衰退をもたらすとしか思えないが、その結果は近い未来に現れる。ヴィトナムでは漢字に妙な細工をしてしまい庶民がついてこれずに、アルファベット化で落ち着いた。地理的環境から、大陸の文明文化が流れ着いて集積するイギリスと日本は輸入品の加工技術の点でも優れている。この本は、文明や文化の受容を考える手がかりとなると思う。


内田洋子『破産しない国イタリア』(平凡社新書、660円)


 ともかく面白い。すべて実話だそうだ。税金は滞納され、交通は渋滞する。保険金目的で毎年約20万件もの虚偽の自動車事故報告がなされる。建て売り住宅も建築許可が下りているとは限らない。窓口というのは待たされる場所で、待たされるのは馬鹿だと云われる。事件や事故、病気や就職の解決にはとにかくコネが必要で、役人宅のベッドは賄賂の札束で固くて寝られないらしく、裁判は弁護士を儲けさせるだけで忌避される。旧来の年金制度も杜撰で、50代男性で働いているのはわずか50%のみ。国内有数の産業の一つが「誘拐」でプロの始末屋が犯人との折衝役を引き受けるそうだが、犯人と始末屋はグルで二重取りという仕組み。息子の不始末を片づけるのは偉大な母で、成人男性が家を出て自立しようとすると親子との間に不和があったと見なされる。こんな国民に対抗するかのように、法令とその解釈はたえず変化し、政府が約束を簡単に反古にして国民からカネを搾り取ろうとする。これがイタリアのすべてではないにしても、こんな国なのにイタリアはまだ倒産していない。不思議だ。堅気が称賛される国の住民には考えられない状況だが、これも「国のかたち」というものなのだろうか。


 ほんのこべや(99年11月)

一般書 上田耕一郎『国会議員』(平凡社新書、680円) 

 妙な選択と思われるかも知れない。社会性・共同性はあっても、価値観が多様ならば、価値観と密接に関連する正義も原則複数のはずであり、一本気な人や集団の議論や支配は、息苦しい。弱者との連帯と同程度に、「悪者」との共存が重要で、文明の質は監獄をみれば分かるという。政治には「人間の人間に対する支配」という側面がある以上、政治家や政党が自らの信条のみを正義とするイデオロギーの奴隷にはなっていただきたくない。公明党と並んで「拒否政党(有権者の多くが投票を避けるという意味)」の代表とされてきた日本共産党が、近年変わりつつあるという評判を聞く。「人間の顔をした共産主義」は、20〜30年前、ヨーロッパで強調されていたように思う。日本共産党の中で、主義主張は相容れなくとも、自民党など他の政党から広い意味で「仲間」として認知され、場合によっては協力も惜しまれなかった議員の代表が著者である。端々に気骨や矜持が感じられるだけでなく、「自共共闘」の話もあって楽しい。江田五月『国会議員』(講談社現代新書)や若宮啓文『忘れられない国会論戦』(中公新書)、中山千夏『国会という所』(岩波新書)などと併せてお読みになられればと思う。


一般書 山田太一『異人たちとの夏』(新潮文庫、400円)

 同名の映画が1988年に大林宣彦監督で作られている。主演は、風間杜夫・片岡鶴太郎・秋吉久美子・名取裕子で、原作に忠実な映画となっている(2、3箇所気になるところがある)。本と映画のどちらからか、どちらもいい作品だと思うので、この場合は分からない。ただ、映画は、エンディングはともかく、俳優が何ともいいので(名取裕子にはちょっと不満が残るか?)、映画からの方がいいのかも知れないが、是非とも両方をお薦めする。焦らすわけではないが、話の筋の紹介は、野暮だと云われそうなので止めておく。生まれ育ちや年齢で違いはあっても、それぞれの琴線に、なにがしか触れる部分があるかと思う。数学者(藤原正彦)、物理学者(寺田寅彦)や将棋の棋士(島朗)のエッセイから感じ取れるのとは少し違う種類の、純というものがそこにある。特に政治と結びつける必要はないが、「政治と純度」といえば、政治学の出発点でもある。尤も、過剰に純度を嗅ぎつけるのは、晩夏の感傷に過ぎず、若さには理解不可能ですよと言われればご勘弁願うよりない。それはそれとして、映画の方は『Field of Dreams』なんかと比較してみれば面白いかと考えている。


一般書、升味準之輔『昭和天皇とその時代』(山川出版社、2600円)

 天皇制/皇室制度を論じた本は数々あって、どの1冊を紹介するのか、困る。ヒトラー関係書は世界に3000冊程あるそうだが、こちらも相当数ありそうだ。しかも、戦争責任や象徴天皇制などテーマが多く、様々な角度や立場から論じられている。左右上下各々複数の議論があることがわかるし、こういうテーマこそ、色んな議論の存在を知っておくことが、政治的な成熟には必要なのだろうと思う。業界のエチケットに反するかも知れないが、ここでご紹介する「昭和天皇論」は、何よりも、昭和天皇と戦争との関わりという、議論を詰めても最後は分からない部分が残り、しかも下手に書くと、学問を装った情緒的な反発を買いかねない、実に扱いにくい論点の描き方が、やっぱり秀逸である。「天皇が立憲的ロボットでなかったことは、間違いない。政策決定過程の中枢にあって、戦争回避のために努力した。だが天皇は、平和主義者だったわけではない。絶対平和は、思想家や宗教家の信条である。帝国主義指導者は、平和を願うとしても、国益の増大と防衛のために、権謀術数を忘れることはない。天皇がその例外であるはずがない」(6頁)。この箇所は繰り返し読んでは、色々と考えてしまう。


 ほんのこべや(99年4月)

一般書 鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』(創元推理文庫、520円)

 この本はここ数ヶ月で最も刺激的なもので、読んでいる最中にも、ワァワァと叫びたくほどだった。題名からすると、『神々の指紋』とか、『神々の遺伝子』のような本にも見えるし、創元推理文庫だから余計にそういう印象は自然だと思う。それでも、値段も高くないから騙されたと思って、ともかく今すぐ皆さん買いに行って、少々の用事があっても、それを断って、読み始められることをお薦めします。私にとっては、「邪馬台国は東北、岩手県にあった」、「聖徳太子は架空の人物だった」、「キリストの復活という奇蹟はユダの筋書きだった」という話が印象的で、これから数年忘れられそうもない。全部が全部正しいわけではないだろうし、どこかで読んだなと思う話も混ざっているけれども、多少知識がある人であればあるほど、この著者の大胆な「仮説」と、妙に緻密な論証の虜になってしまうと思う。歴史は詰まるところ作られるものであり、解明される部分があるから推理小説と似ているが、これほどの才を見せつけられると、嫉妬を感じる。歴史が楽しくなる本だから、今すぐ読まれるといい。いつか機会があったら、例の酒場のカウンターで、色んな話を伺いたい。


一般書 野矢茂樹『無限論の世界』(講談社現代新書、660円)

 この本がわかったと胸を張れないところが情けないけれども、いい本が出たなと思う。学生時代、アルバイト先の学習塾でちょっとは数学の出来る中学生を同僚がからかう際に用いる問題に、無限大(∞)に関係するものがあった。∞は「無限」なのだから、∞の2乗に等しく、従って、∞=∞^2で、移項して、∞^2−∞=0、∞(∞−1)=0、∞≠0だから、∞=1、アレレ?というものだ。∞は数ではないというのがオチだが、確か当時その同僚は∞が量だと説明していたように覚えている。ところが、この本だと、∞の「実在」が否定されて(たぶん)、素直に考えるとそうだなと思えて、面白くて仕方がない。直線は点の集合ではないという話もあって(たぶん)、これまた世界が変わって見え始めた(「愚劣な考え」だと笑われそうだが、これを類推適用すると、面は直線の集合ではなく、立体は面の集合ではなく、従って、時間は…)。この本は、一見数学の本のようだし、確かに、読み進んでいくには、数学の知識が少し必要だけれども、実は世界の成り立ちを語っている。雑用で苛立つ冬が終わって、春になったら、同じ著者の『哲学の謎』を買って読もうと思う。


一般書 東野圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫、580円)

 「日本人は単一民族だ」というのは、民族の定義次第だが、事実というよりは、しばしば「単一民族であるはずだ・べきだ・そうだよね」という主張で、何しろ、ゼミ生の顔を思い浮かべただけでも、北方系・南方系の諸民族に出会えるから、そう遠くない昔に大量に混ざり合ったんだなとわかる。単一民族論と似ている話に、「日本文化論」があるが、不思議とこちらにはあまり抵抗がない。畿内出身者が東京に住み始めたときの感想は大抵「これが同じ日本か」で、東京は整然としていて、お行儀がよくて、サラリーマンが住み易い社会だと思える。この本は、大阪出身の小説家の自叙伝で、大阪らしさがふんだんに味わえる。表題の「アホ」も慕情や愛情を含んだ言葉だとおわかりいただけるかと思う(『蝸牛考』に匹敵する『全国アホ・バカ分布図』という好著が文庫になったのでこれもお読み下さい)。自分のことを「アホ」だと呼べるのは成熟の証で、「威張ったり」「誉められたがる」のは(アダルト・)チルドレンだろう。なお、大阪がみんなこんな風だと思わないように。それと、名古屋については、やっぱり清水義範『蕎麦ときしめん』が秀逸。デフォルメの良さである。


 ほんのこべや(98年11月)

長田渚左『欲望という名の女優 太地喜和子』(角川文庫、560円)

 権力の陰に、貴族女性や女優・娼婦あり… こんな風に書き出すと、ワイドショウ向けの西欧近代政治史となる。そのあたりに興味のある方は、窪田般彌『皇妃ウージェニー』なんかがお薦めできる。ここでご紹介するのは、権力政治とはほぼ無縁で、演じることに一生を捧げ、五、六年前伊東の海に車ごと落ちて「事故死」してしまった女優、太地喜和子の伝記である。演技といえば、政治学の主要テーマの一つだが(バーク『動機の文法』は是非読まれたし)、現実と演技は、俳優の中でしばしば交錯し、テレビドラマ「白い巨塔」の田宮二郎は演技の延長で自殺した。太地も年毎に「狂気」に近づいた。だから事故死ではなかったかも知れない。業界は違うが、命を削って将棋を指す話は、先崎学『一葉の写真』がいい。いずれも「一途」で、一途は得難い才能ではあっても、凡人の日常とは折り合いがつかず、時に神からの不幸な贈り物(gift)でもある。なお、本書で引用されるT・ウィリアムズの『欲望という名の電車』は、原作も好いが、ビビアン・リー主演の映画を是非ご覧いただきたい。ついに演じる機会を得なかった太地が目指していたものが、そこにある。



谷岡一郎『ツキの法則』(PHP新書、690円)
 

 さだまさしの『無縁坂』だったか、「運がいいとか、悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって、確かにあると、あなたをみてて、そう思う」というような歌詞があった。現代人は因果関係を無視して生きる智恵を忘れてしまったようである。因果関係ははっきりしないが、その存在を日常で確信しているものが運やツキだろう。こういう日常現象の説明が一番厄介なのだが、この本はツキとは何かを教えてくれる。世に流通する必勝法の嘘を暴いて、ギャンブルには必敗しかなく、ツキが来たと思ってもそれは「統計上の揺らぎ」に過ぎないのだと断言する。といわれても、「さいころには記憶がない」から、6が3回続けて出た後で、次に6が出る確率はやっぱり6分の1だって、納得できる? もちろん、ギャンブルは負けても(負けるから)やるものだよねなんて、開き直る人もいるだろうから、その人のために、後半部分で「いい負け方」が伝授されている。実は負け方に二通りあり、「確実に負ける賭け方」と「ひょっとすると大勝ちできるかもしれない負け方」があるという。破滅型ギャンブラーの方は、この本をフムフムと読んで、統計上の揺らぎに期待するのもいいかと思う。



ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』(新潮文庫)


 当たり前のことをわかりづらく表現してしまう癖が学者にはある。関係者にとって指示内容が明白な専門用語は、素人が近寄りがたい分だけ、誤解やノイズを生まないというのが弁明だろう。そのせいか、「人間は社会的動物である」という一見わかりやすい命題など、説明し出すと案外難しい。人間は一人では生きていけないことなど、言われなくてもわかっているという反論は自然だし、個人と社会との関係を表現するにしては、あまりに不親切だ。ロビンソン・クルーソーも生まれ育った社会経験を生かして暮らし、暮らしの供を欠かせなかった。しかし、社会は社交からなるという常識が人間には備わっているとの一般論が説得力を欠く場合もある。集団には固有の作法があり、作法が決まって協同作業は成立し、その際しばしば指導者が必要となる。そして、集団運営の成否は、メンバーの個性や資質、育った環境で決まる。この本は、「無人島」に漂着したイギリスの少年たちが、生きるための社会づくりに苦労する物語で、政治学の基本概念であるリーダーシップとか、象徴とか、儀式・儀礼とかを、乾いた理屈より、妙にリアルな場面設定で教えてくれる好著である。


 ほんのこべや(98年3月)

久保田誠一『グレイゾーン』(文藝春秋)

  「刑事=無罪、民事=賠償金38億円」、本書の帯の文句である。アメリカ、ハリウッド、超有名人、美人妻殺人、人種差別、セックス、家庭内暴力、子供、麻薬、高額賠償金、法廷生中継…、揃いも揃ったセッティングである。「O・J・シンプソン裁判で読むアメリカ」の副題通り、海部一男『アメリカの小選挙区制』、菅原千代志『アーミッシュ』なんかと並んで、一読に値するアメリカ論だろう。何しろ、自分の親の教育が不備だったと不良少年が訴える社会である。人種問題の処置に困っている様子だが、公民権運動からまだ三〇年に過ぎない。一見民主的な外国制度の輸入を無批判に是認しやすい日本人にとって、陪審制度の功罪を考える上でも、優れた参考書だと思う。国会への証人喚問を思い浮かべながら、法廷にカメラが入ることの是非も考えたくなった。(元)王族の事故死でも取り沙汰されたが、3Sに飢えた現代マスコミのあり方を考察する上でも役に立ち、元アメフトのスーパースターを裁いた点で、大衆社会論としても読める。「疑わしきは罰せず」で冤罪は憎むべきだが、有名人と金持ち・屁理屈の達人が勝利者となりやすい社会体質には、素直に首肯する気が起こらない。


ミッシェル・バストゥロー『ヨーロッパの色彩』(パピルス)

 社会事象の多くは象徴を通して表現される。スポーツの国際大会で、選手は国歌演奏に気分を高め、国旗掲揚に健闘を誓う。色もこうした象徴素材の一つである。仏国旗は青白赤の三色旗だが、実はこの三色が選ばれた由来は明らかではない。ノヴァーリスの青い花は気高さを表し、多くの労働者は自己表現に赤旗を振った。これほど重要なのに、色はほとんど研究されないと思っていたら、この本が出ていた。ビリヤードのマットが緑である理由も初めて知った。ヨーロッパと今後つきあう人は読んでおいてもいい本だと思う。雑学が衒学となるか、教養となるかは、使い方次第だとしても。そういえば、今時の学生が知っている色は、絵の具か色鉛筆で馴染んだものが多く、うぐいす色、あさぎ色など昔からある色とは疎遠なようだ。日常体験ではなく、事典を通じて色彩を伝承していくのは寂しい限りだが、他方で、近江源太郎監修『色々な色』(光琳社出版)は何十万部か売れているらしい。こちらの効用は、名前を覚えればそれだけ表現能力が増し、その分認識が豊かになることだろうが、ともかく眺めていて楽しい本である。


浅田次郎『蒼穹の昴』上下(講談社)

 「隣国だから、相互理解は楽だ」という常識の嘘がある。確かに中国から日本は文明の利器を数多く得た。但し、物品や制度を導入しても、運用次第で別物に変わってしまう事例は、日常にもありふれている。日本やヨーロッパを勉強していると、どうも中国のイメージにうまい落ち着きが得られない。魯迅『阿Q正伝』がつきまとう。馳星周『不夜城』ではないが、中国系住民の結束力を知ると、近寄りがたくなるのも正直な感想だ。もう少し歴史学や文化人類学を踏まえて中国社会の構造説明をしてくれる本がないものか、この国の中国学は水準が高く、中国を「第二の、ないし第一の祖国」と思っている研究者も少なくないのだから、門外漢にもわかりやすく書いてほしい、わがままな注文である。岡田英弘『妻も敵なり』は好評のようだが、少しラフすぎるか。ここで紹介するのは小説で、清朝末期、例の残虐非道で有名な西太后とその時代の様子がよく描かれている気がした。どこまでが事実で、どこからが創作なのか、そのあたり判定材料がないので騙されているんだろうが、ともかく中国社会がわかる気になり、面白く読めた。『鉄道員』より、出来がいいと思ったりしている。


 ほんのこべや(97年10月)

稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫、450円)

 ソ連が崩壊して社会主義の人気が落ちたようだが、言えば不思議な話だと思う。やはり資本主義が充分に発達しないと革命は成功しない、さあこれから…とは、ならないらしい。結局、思想やイデオロギーも現物の説得力が重要で、だからこそ現実が隠蔽され、「蠅や失業者のいない社会主義、万歳」という時期もあった。権力が情報操作を行う例は、A・ジョベール『歴史写真のレトリック』(朝日新聞社!)にある。清廉潔白な支配ほど支配される側にとって息苦しいものはなく、制度は程良い抜け道があって初めて機能するとわかっていても、抜け道が不正である限り、過剰な正義追求は絶えない。この種の生真面目がマスコミに巣くうことがある。マスコミが自らの正義主張に無自覚で、自己欺瞞が相当に進行している場合は哀しい。元朝日新聞社記者の著者による暴露に自浄作用を見い出せるかどうか、判断は難しいが、業界人としての誇りとマスコミのリーダーたる同社への愛情も文章表現に感じられるから、マスコミ就職を希望する学生は、保守・進歩を問わず、一読されるといいかと思う。読後に、マスコミの「イデオロギー偏向」に失望されるなら、他山の石とはならないけれど。


伊藤智義作、森田信吾画『栄光なき天才たち1〜4』(集英社文庫、各650円)

 高が、マンガである。が、久しぶりに読んでまた想いに耽り、溜息の合間に涙も出た。何故涙が出るのか。これが週刊誌に連載されていた頃、議論したことがあった。でも、涙の理由などどうでもいい気がする。情報入手の半分以上は視覚を通して得られるから画は想像力を養わない、だから文字を読む方がいい、マンガなどネクタイをしめた大のオトナが読むものではない、そんな批判をする人も『カムイ伝』なんかは誉め讃えるから、要は質である。このマンガの題材は実話だが、文と画が程良く相乗して、迫力を増している。採りあげられているのは、古橋廣之進、S・ペイジ、人見絹枝、D・トランボ、S・サンチェス、樋口一葉、吉岡隆徳、鈴木商店、東大野球部、澤村栄治、川島雄三、島田清次郎、アベベと円谷、マンチェスター・ユナイテッド、鈴木梅太郎、北里柴三郎、山際勝三郎、野口英世、理化学研究所。このうち何人をご存じだろうか。それぞれにそれぞれのドラマがあった。主人公の共通点をあえて探せばひたむきであり、社会評価との相性の悪さだろう。読後にやるせなさをどこにぶつけたらいいのかわからなくなるが、彼らを忘れないことが「追悼」となろう。


 ほんのこべや(97年1月)

ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街10番地』(新潮文庫、640円)

 政治を語らせればイギリスをおいて他にない、この評判は当面続きそうである。そこには、リアリズムと分別がある。政治現象と一定の距離をおいて楽しむだけの余裕がある。大人の世界である。本書は、各党を代表する有力政治家が首相の座(ダウニング街10番地)を目指す権力闘争の小説で(訳者の解説もいい)、著者が保守党の有力政治家でもあることから、すべてが作り話ではない所に格別の味がある。内から見た政治でもあり、外から見た政治でもあるという仕掛けである。また、しばしば民主主義の盲腸扱いされる国王に、どのような政治的意義があるのかもわかる。そして、あの結末。権力闘争を描くにしても、上品さが保たれている。その上品の由来は、著者に育まれた資質とともに、イギリスに備わった歴史経験だろう。相互作用の産物である。本書はビデオにもなっていて、少し長いが、別の味があって週末などにお奨めしたい。なお、筋立ては異なるが、同じくイギリス政治を扱ったものに、カズオ・イシグロ『日の名残り』(中公文庫)がある。これは単なる老いらくの恋の物語ではない。政治の品質向上のヒントが散りばめられている。やっぱり、イギリスである。

高橋敏『江戸の訴訟』(岩波新書、650円)

 江戸時代。近代日本人には「親の仇」で、せいぜい時代劇の素材、そんな理解がこの間まで流通していた。近年江戸ブームで、時代の情報も身近に入手可能となったのは喜ばしいが、相変わらず庶民生活・人情物と武士道・処世訓が幅を利かせている。それでも、各種各様の時代劇は江戸時代人が見れば噴飯物だ、その程度の了解は得られ始めている。本書には出版社の個性を表す堅物の題名と、帯には官官接待の実際という時流にのった宣伝文句があるが、中身は面白い読み物である。伊豆半島の付け根の村で無宿「893」が殺害された事件を、名主など村の有力者が江戸まで出向いて(ついでに江戸見物をして)解決する。紛争解決の手際は社会の成熟を測る尺度であり、「話の付け方」にも文明の作法があるから、江戸時代の片田舎にもかなりの洗練があったとわかる。独裁が日本では好まれないシステムだと描いた笠谷和比古『主君「押込」の構造』(平凡社選書)、ヨーロッパとの対比で江戸時代の豊かさを著した水谷三公『江戸は夢か』(ちくまライブラリー)を併せて読まれると、一部の政治家や歴史業界作成の「明治近代物語」に騙されていたことに気づかれるだろう。

八幡和郎『遷都』(中公新書、600円)

 戦後何度目かの遷都ブームである。所詮業界人のペット・テーマ、否、今回は本気らしい。国会等の移転決議は、首都ではなく、首都「機能」の移転を決めたに過ぎない。しかし、複雑な議論は言論市場では敬遠されやすいから、要は遷都である。東京一極集中を是正する地方分権論と連動した遷都論があり、アメリカからの内需拡大要請を背景にした、新たな公共投資材料としての遷都論がある。新首都の有力候補地だとして、東北南部、関東北部、東海諸県の自治体関係者が誘致に動き出しているが、世紀のイベントにしては騒がれていない。関係者の様子見か、世論の成熟かはさておき、数年内に新聞やテレビを賑わす話題だろうから、多少の知識が備わっていても悪くない。本書が遷都論で最初に読むべき本かどうかは自信がないが、価格の手頃さと、議論の広さでお奨めだろう。他にも堺屋太一『「新都」建設』(文春文庫)がある。お二人とも、通産省の(元)役人である処に、どうやら議論の所在を知る手がかりの一つがある。なお、藤森照信『明治の東京計画』(岩波書店)や園田英弘『「みやこ」という宇宙』(NHKブックス)を読まれると、考察に奥行きが出てくるように思う。


ほんのこべや(96年9月)

藤原正彦『遥かなるケンブリッジ一数学者のイギリス』(新潮文庫、400円)

 言葉は何かを指し示しているはずである。例えば「日本と欧米」という表現がある。日本と較べ、欧米には共通点があるということだろうが、サミット参加国に話を限っても、英仏独伊米加の何が共通しているのか、各国の事情を知れば知るほど答えに窮してしまう。近年欧米という表現を不用意に使う人が減った理由でもある。とすると、欧米内部の違いを知っておくことは、文字どおり分別の始まりとなる。「英米」という言葉にも同じことが当てはまる。大陸諸国と較べ、英米に共通点があるというのは法学では馴染みある発想であり、また英語のEuropeがしばしば大陸を指すことに思い当たる人もいるだろう。しかし、英米の妥当範囲も限られるから、ユーモアのあり方など、両者の違いを知ることも必要となる。本書は、大和魂が濃厚な数学者の奮闘記であり、『若き数学者のアメリカ』を併読すれば、数学界の人間臭さを味わえるだけでなく、欧・米、英・米の違いの一端がすんなり頭に入ってくる格好のエッセイである。なお、著者は新田次郎、藤原ていご夫妻の息子さんで、日韓/日朝関係史に興味のある方は、藤原てい『流れる星は生きている』を読まれるといいかも知れない。

ライナー・レディース編『海賊ヴィンターゲルストの手記』宮内俊至訳(NTT出版、1500円)

 本書は、17世紀後半から18世紀初めまでの時期に、出世と冒険を求めたあるドイツ人海賊の「回想録」で、この波瀾万丈の行動記録を読むと3つの「利点」があるように思う。海賊と聞けば、海上で他人の財物を盗みとる連中だと単純に考える生真面目な方には、「倭寇」と同様、北海から地中海で暴れ回る海賊もしばしば「国家が黙認した商売」であったことは驚きだろう。社会現象を見る上で、柔軟な発想を身に付ける練習という利点である。また、文中に登場する日常行動の記録には、当時のヨーロッパ社会の特色がふんだんに登場していて、寄港する土地土地の産物が違ったり、すれ違う船を騙すために自船の「国旗」を付け替えたりする話に、時空を超えて海賊船に同乗している気分が味わえる。歴史の運動法則とか、時代の性格規定とかいった堅物の歴史観に飽きている方は、歴史(history)が先ずもって読み物(story)だと実感できる利点である。第三に、本を読んで、質問したい、もっと知りたいと思うことがあるけれども、幸いなことに、本書は本学法学部の宮内先生が訳されているので、チャンスがあれば何かと教えてもらえるかもしれないという利点である。




現代日本の政治

 おそらく「小泉人気」もあって、日本の政治がわかる本を紹介せよとのご依頼があった。政治学を教えているのだから簡単だ…とはならない。政治学を教えている者は、実は政治が題名に付いた本をあまり読まない。不勉強だから、ではない。
 政治は、誰しもが何となく知っているし、知らず知らずのうちに日々実践しているのだけれども、改めて政治とは何かと問われるとわからなくなる。例えば、政治は汚い。他人を騙したり、私腹を肥やしたりする。また、政治は怖い。テロや戦争を生み出す。反面、政治は頼もしい。通常の手段では何ともならない時に、頼みの綱となる。政治は希望である。自由や尊厳を守り、共存や平和を育む。こんな風に、政治には色んな顔がある。まるで、頭が猿、胴は狸、足は虎、尾は蛇に似ているという伝説上の動物、鵺(ヌエ)そのものではないか。しかし、そのイメージも、色んな人が色んな風に政治を捉えている結果に過ぎない。
 政治とは何かが決まらないと、ご紹介すべき政治の参考書が決まらない。例えば、女性差別が政治問題になると、女性差別を扱う本も挙げなくてはならない。不況脱出を図る財政政策が政治問題となれば、これに関する本も参考文献リストに入ってしまう。国会で取り上げられれば、問題は「政治問題」となる。このように、政治の参考文献は、考え始めるとキリがない。政治という言葉を聞いて、何を思い浮かべるかによって、参考文献が変わってくるからである。「広く、深く学習せよ」が要求される領域だから、結構辛い。
 それでも、図書館に行って書架を眺めれば、題名に「政治」が含まれる本はたくさん並んでいる。現代政治学叢書という20巻のシリーズをはじめ、入手しやすいものも少なくない。ただ、今回のご依頼は、その正体はさておき、「現代日本の政治入門」なのだから、古典作品を除き、著者1人につき一般書に近い1冊を選び(翻訳のある物のみ)、現代日本の政治を考えるヒントになりそうな文献を挙げてみることにした。民主主義が素晴らしいシステムだとしても、「政治≠民主主義」だと分かっていただければ、ご紹介する甲斐があったというもの。挙げる本の数が少々多くなるかも知れないけれど、上述の理由で仕方ないのでご了承を。なお、「何故、あの本がないのだ」と訝る方もいらっしゃるでしょうが、あわせてご了承ください。

1 「政治って何だろう」と思ったことがある方へ

 何よりもまずは
  ○ 岡義達『政治』(岩波新書)  となるが、絶版で入手しづらく、しかも文体が馴染みにくいから、図書館で1、2週間借りたぐらいでは到底歯が立たない。言い換えれば、この本が何頁かでも読めると、政治が分かりはじめた証拠となる。ただ、やはり読みにくいので、次に、
  ○ M・エーデルマン『政治の象徴作用』(中央大学出版会)
  ○ B・クリック『現代政治学入門』(新評論)。  これも繙いてみたが、まだ難しいという方は、
  ○ I・カーツァー『儀式・政治・権力』(勁草書房)。  これは事例が面白いので読み続けられるはず。これも駄目なら、小説を読むことにして、
  ○ W・ゴールディング『蠅の王』(新潮文庫)
  ○ J・R・R・トールキン『指輪物語』6巻(評論社)
  ○ G・オーウェル『一九八四年』(文春文庫他)
  ○ J・アーチャー『めざせダウニング街10番地』(新潮文庫)
  ○ A・ハックスリー『すばらしき世界』(講談社文庫)
  ○ 松本清張『小説東京帝国大学』(新潮文庫)。  さて、『政治』『政治の象徴作用』『現代政治学入門』を読んで、さらに少々気合いを入れたい…、水があっているみたいだという方は、
  ○ K・バーク『動機の文法』(晶文社)
  ○ R・A・ダール、C・E・リンドブロム『政治・経済・厚生』(東洋経済新報社)
  ○ A・ジョベール『歴史写真のトリック』(朝日新聞社)
  ○ 佐伯胖『「決め方」の論理』(東京大学出版会)
  ○ 戸井田道三『演技』(紀伊国屋新書)
  ○ 宇佐美誠『決定』(東京大学出版会)
  ○ G・オーウェル『オーウェル評論集』(岩波文庫)  などがお薦め。この数冊をさほどの困難もなく読み続けられた方は、政治現象を捉えるセンスが間違いなくあるし、将来政治学を志されても大丈夫だと思う。

2 「心のどこかで、政治なんて…」と思っている方へ

 政治が作為なら純度と関わってくる。だから、純度の高い人たちのものは、間接的に政治を考えるヒントとなる。数学、人文、勝負、スポーツ、芸術の各界から、2冊ずつ挙げると、
  ○ 藤原雅彦『遙かなるケンブリッジ』(新潮文庫)
  ○ セアラ・フラナリー他著『16歳のセアラが挑んだ世界最強の暗号』(NHK出版)
  ○ 辰野隆『日仏の円形広場』(新潮社)
  ○ 斎藤清明『京大人文研』(創隆社)
  ○ 先崎学『一葉の写真』(講談社)
  ○ 大崎善生『聖の青春』(講談社)
  ○ 川上貴光『”ムッシュ”になった男』(文芸春秋)
  ○ 木村元彦『誇り』(集英社)
  ○ 熊川哲也『メイド・イン・ロンドン』(文芸春秋)
  ○ 佐渡裕『僕はいかにして指揮者になったのか』(新潮OH!文庫)。
 政治は人を簡単に魅了し、魅了されれば情熱の制御が難しくなり、無様な自己陶酔に陥るから、併行してこういう著者のものを是非読んでいただきたいと思う。反政治も結局は政治で、非政治の世界を大切にすることがよき政治を考えることにもつながるから。

3 「政治思想」に興味がある方へ

 政治思想に興味があるというのは、どうなんだろうと思ってしまう。思想は香辛料で、国や時代に応じて特有の味わいが生まれるが、激辛は所詮味覚音痴だという「偏見」があるからだろう。政治思想となれば、定番は
  ○ 丸山真男『日本の思想』(岩波新書)  で、昔なら高校生が読んだものだぞと年輩の教師は云う。西欧についてはポーコックなどご紹介したいものも少なくないが、こうした思想物よりも、むしろ、社会のあり方を考えるヒントとなる本をご紹介すれば、
  ○ 藤田弘夫『都市の論理』(中公新書)
  ○ 京極純一『文明の作法』(中公新書)
  ○ C・N・パーキンソン『パーキンソンの法則』(至誠堂選書)
  ○ きだみのる『気違い部落周游紀行』(冨山房百科文庫)
  ○ W・リップマン『世論』上下(岩波文庫)
  ○ 速水融『歴史人口学の世界』(岩波書店)
  ○ K・E・ボールディング『二十世紀の意味』(岩波新書)
  ○ 平田オリザ『演劇入門』(講談社現代新書)
  ○ 原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ)
  ○ 真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店)。

 鱗の2つや3つは、簡単に目から落ちるように思う。

4 「日本って、日本人って何だろう」と考える方へ

 戦後に限らず、また必ずしも顕在化していなくとも、最大の政治問題はおそらく、日本論、日本人論だと感じさせられる時がある。日本論、日本人論は戦後最も売れ続けているジャンルだから、ご紹介すべき本はあまりにも多い。ただ、日本であれ、日本人であれ、それが独自なのは、アメリカ(人)や中国(人)が独自だというのとあまり変わらないし、きっと「宇宙人」や「猿」から見れば、大した違いなど見あたらないということになるんだろう。幸いなことに、自然科学の分析手法が豊かになったおかげで、日本や日本人の起源については、神話と歴史事実とを区別しようという傾向が強まっている。それでも単一民族云々の議論がすぐに流行しやすい土壌では、日本や日本人について考えることだけで政治的行為なのだと意識しながら、色んな本を読んでいただきたい。そこで、
  ○ 松本秀雄『日本人は何処から来たか』(NHKブックス)
  ○ 網野善彦『「日本」とは何か』(講談社)
  ○ 佐原真・田中琢編『古代史の論点6 日本人の起源と地域性』(小学館)
  ○ 石川九楊『二重言語国家・日本』(NHKブックス)
  ○ 佐々木高明『日本文化の基層を探る』(NHKブックス)
  ○ 隈元浩彦『日本人の起源を探る』(新潮OH!文庫)  などを。文化論に興味がある方なら、
  ○ 丸谷才一・山崎正和『日本の町』(文春文庫)
  ○ R・ホワイティング『和をもって日本となす 上下』(角川文庫)
  ○ 司馬遼太郎『街道をゆく 7砂鉄のみちほか』(朝日文庫)  をどうぞ。また、
  ○ 笠松宏至『法と言葉の中世史』(平凡社)  は、考えるヒントに溢れている。

5 「こんな日本って、どうなんだろう」と思う方へ

 戦後システムが機能しなくなったという主張が数多い。そうした主張も玉石混淆だが、制度疲労を実感させる事件や事故は確かにある。これからの日本を考えるヒントになりそうな本としては、まず、
  ○ 村上泰亮『反古典の政治経済学 上下』(中央公論社)
  ○ 田中直毅『日本政治の構想』(日本経済新聞社)  を。日本の政治には、お役人の果たす影響が大きいけれども、「官僚」については、ひとまず、
  ○ 秦郁彦『官僚の研究』(講談社)
  ○ 水谷三公『日本の近代13 官僚の風貌』(中央公論新社)
  ○ 稲継裕昭『日本の官僚人事システム』(東洋経済新報社)   官僚制は、まずは官僚のための制度である。また、
  ○ 後藤田正晴『政と官』(講談社)
  ○ 西川伸一『知られざる官庁 内閣法制局』(五月書房)
  ○ 星新一『人民は弱し 官吏は強し』(角川文庫)
  ○ 石原信雄・御厨貴『首相官邸の決断』(中央公論新社)
  ○ 神一行『自治官僚』(講談社文庫)   は読んでいて楽しい。

6 「戦後日本の政治」に関心がある方へ

 戦後日本の政治史については、一般書に分類されるものは数少ない。いわゆる定番がない。さて、好悪を別にして、自民党が戦後政治に及ぼしている影響は無視できない。まず、自民党代議士の「作られ方」は、
  ○ G・カーティス『代議士の誕生』(サイマル出版会)
  ○ 家田荘子『代議士の妻たち』(文春文庫)  自民党の歴史や力学なら、
  ○ 佐藤誠三郎・松崎哲久『自民党政権』(中央公論社)
  ○ 北岡伸一『自民党 政権党の38年』(読売新聞社)  がおそらく標準的で、
  ○ J・キャンベル『予算ぶんどり』(サイマル出版会)
  ○ 広瀬道貞『補助金と政権党』(朝日出版社)
  ○ 田中善一郎『自民党のドラマツルギー』(東京大学出版会)
  ○ 片岡正昭『知事職をめぐる官僚と政治家』(木鐸社)
  ○ 木代泰之『自民党税制調査会』(東洋経済新報社)
  ○ 佐々木毅他『代議士とカネ』(朝日新聞社)   あたりを読むと、大体の様子が分かってくる。国会審議の様子は、中山千夏他の色々な体験記があるけれど、
  ○ 若宮啓文『忘れられない国会論戦』(中公新書)  などが読みやすいように思う。
 次に政治家だが、これは数多い。ところで、1970年代から今まで、ほとんどの首相は1、2年で辞めている。だから首相の名前など憶えていられないというのが正直な所。首相が誰でもいいのは安定しているからなのか、厭きられているからなのか。ともあれ、そこに小泉人気で、その高率にはご本人が一番驚かれていることと推察する。ところで、戦後日本を代表する政治家といえば、結局のところ、これまた好悪を措いて、吉田茂と田中角栄となる。吉田は戦後政治の原型を作り、田中は現代政治の構図を描いた。二人は政策のみならず、人材育成でも、少なくとも自民党には大きく貢献した点で共通している。吉田と田中に限っても伝記は数種類あるから、興味のある方は順番に読んでみられると、書き方の違いに驚かれるかも知れない。出発点としては、
  ○ 五百旗頭真『占領期 首相たちの新日本』(読売新聞社)。  読み物としては、
  ○ 大下英治『小説東京大学法学部』上下(角川文庫)
  ○ 戸川猪佐武『小説吉田学校』(学要書房、8冊)  で、後者は同名のコミックもある(読売新聞社)。また、
  ○ 長沼石根『地方政治家』(晩聲社)
  ○ 大久保昭三『裸の政界』(サイマル出版会)  なんかもいいし、
  ○ 橋本大二郎『知事』(平凡社新書)
  ○ チホウ政治じゃーなる編『呆然!これはびっくり地方自治ニュース』(角川Oneテーマ21)  のようなものから読み始めるのもいいかも知れない。

7 「外交・国際関係、戦争や平和に興味がある方へ」

 外交や国際関係の分野も、特定のテーマに絞ったモノグラフを除けば、ご紹介する本には恵まれていないように思う。一般には、やはり、
  ○ H・ニコルソン『外交』(東大出版会)  で、最近は
  ○ H・A・キッシンジャー『外交』(日本経済新聞社)  が評判のようだ。また、キューバ危機を扱った映画『Thirteen Days』が面白かった方は、是非
  ○ G・T・アリソン『決定の本質』(中央公論社)。
 戦争を、つまり平和を考えたい方は、小説の方がいいように思う。最近また色々いい本が出ているようだが、少し前に出た物の中では、
  ○ 石光真清『城下の人 石光真清の手記1』(中公文庫、1巻だけでも)
  ○ 大西巨人『神聖喜劇』(ちくま文庫、1巻だけでも)
  ○ 大岡昇平『俘虜記』(新潮文庫)
  ○ 藤原てい『流れる星は生きている』(中公文庫)
  ○ 山本七平『私の中の日本軍 上下』(文春文庫)  などがお薦めです。

8 「天皇制度に興味がある方へ」

 この分野が読むべき冊数が最も多いのかも知れない。批判者は天皇制と呼び、支持者は皇室制度と呼ぶので、間をとって「天皇制度」と呼ぶことにすると、元号がかわってから、またたくさんの書物が出るようになった。戦後あるいは昭和という時代との関連で、「重石がとれた」というのが実感だと思う。上下左右色んな本を読む必要があるから、この分野はどれをご紹介するのか、本当に迷う。「基礎知識」なら、
  ○ 高橋紘『象徴天皇』(岩波新書)
  ○ 鈴木正幸『皇室制度』(岩波新書)
  ○ 今谷明『象徴天皇の発見』(文春新書)
  ○ 中村政則『象徴天皇への道』(岩波新書)
  ○ 高橋紘・所功『皇位継承』(文春文庫)
  ○ 吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)  あたり。さらに、
  ○ 大原康男編『詳録・皇室をめぐる国会論議』(展転社)
  ○ 鶴見俊輔・中山六平『天皇百話』上下(ちくま文庫)  は、手元に置いておくと便利だと思う。読み物なら、
  ○ 多木浩二『天皇の肖像』(岩波新書)
  ○ T・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス)
  ○ 波多野勝『裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記』(草思社)
  ○ 猪瀬直樹『ミカドの国の記号論』(小学館)
  ○ 坂本孝治郎『象徴天皇制へのパフォーマンス』(山川出版社)
  ○ 文芸春秋編『大いなる昭和』(文春文庫)
  ○ 武田龍夫『宮中物語』(中公文庫)
  ○ 加藤典洋『「天皇崩御」の図像学』(平凡社ライブラリー)  に加え、
  ○ 勝田龍夫『重臣たちの昭和史』(文芸春秋)
  ○ 升味準之輔『昭和天皇とその時代』(山川出版社)  がいい。視点を広げれば、
  ○ 渡辺浩『東アジアの王権と思想』(東京大学出版会)
  ○ 鈴木正幸編『王と公』(柏書房)
  ○ 大嶽秀夫『戦後政治と政治学』  なんかもお奨めできる。

9 「以上を読んで、本格的に政治関係のものを読んでいきたいと思い始めた方へ」

 政治は色んな物事を扱うから、みなさんが興味を抱いた分野について、私の方にe-mailでご連絡いただくのが一番かと思う。まだまだご紹介すべき本はたくさんありますから。






【推薦本】

安斉育郎『だからあなたは騙される』(角川Oneテーマ21、571円)

 分かっていても騙される。とはいえ、ひどい騙され方は、やっぱり辛い。27頁、98頁、141頁、145頁、183頁など数カ所で、冷や汗をかくか、フフフと笑えます。騙される原因や理由を学べば、同時に騙す技術が身についてしまうがこうした本の罪。


神一行『総理大臣という名の職業』(角川文庫、476円)

 「小泉人気」が、いつまで続くかは別として、何だか妙に凄い。ところで、総理大臣って、偉いんだろうけど、何をやっている人? そんな方へ。知事については、橋本大二郎『知事』(平凡社新書、680円)をどうぞ。


西研『哲学の練習問題』(NHK出版、1500円)

 大学生なのだから、自分で考えなさいと、つい言ってしまう。ところで、考えなさい!と言われても、どう考えていいのか分からない…という方へ。少しは大学生らしくなりたい方へ。占いの本を手にするくらいなら、この本とじっくりお付き合い下さい。



新大情報便 そよかぜ1997年6月号

▼世の中にはいい本が一杯ある。悔しいほど一杯ある。▼本を読む人生と読まない人生にどんな違いがあるのか、よくわからない。家族や友達、映画や音楽、釣りや競馬も伴侶である。ただ、想像力が求められる分、読書は高尚だと敬遠されてしまう。残念な話。▼かく威張ってみせる私も中学生あたりまでは、河原や校庭で遊んだり、地図帳や図鑑を眺める方が性に合い、活字を読む癖が身に付かなかった。心に残る本って何ですかと訊かれても、書架を睨んで思い出そうとしないと浮かばない。▼それでも、思春期に読みふけった作家は何人かいた。こうした作家に共通点はなさそうで、その時々の気分がある本を手にとらせ、何かが共鳴して、何かを癒してくれたんだろう。ならば、本は人それぞれの、その時の気分にあったものが一番好いとなる。読書には余裕が必要で、人生に疲れた時は、読書は一休みで友達と騒ぐか、映画館に行く。恋人との語らいに本は少し不要か。▼名作を手当たり次第に読めば良いというのは教養主義時代の話で、良い本教えてよというのが現代マニュアル時代の本音だろう。そこで軽い本の紹介。▼一時心を温めたい時は灰谷健次郎か今江祥智。笑いたい時は清水義範『蕎麦ときしめん』・谷俊彦『東京都大学の人びと』・小林恭二『日本国の逆襲』あたり。勉強に疲れた時は森毅や藤原正彦。広い視点で社会を考えたいなら司馬遼太郎や堀田善衛のエッセイ。野心を持て余しているなら城山三郎。暗くなりたいならセリーヌやガルシン。雑学なら安野光雅かアシモフ。戦争物なら大西巨人、大岡昇平、山本七平、藤原てい。どうしても漫画という人はまず萩尾望都。▼探して開いて初めて、本とは知り合える。当たりもあればハズレもある。多くの人が賞賛すると名作だが、名作にもハズレがある。人それぞれに名作があるからで、多少の手間・暇・金がかかっても、自分の伴侶は自分で探す。これが決まりである。

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